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第8回「街歩きを楽しむ会」~紅葉の殿ヶ谷庭園と武蔵国分寺跡を訪ねて~


■国分尼寺跡にて

東京三栄会 文化交流委員会では、2023年12月9日(土)に「第8回 街歩きを楽しむ会」を約4年半ぶりに開催致しました。
今回は「紅葉の殿ヶ谷庭園と武蔵国分寺を訪ねて」と題し、少し都心から離れて国分寺の街歩きです。




午前11時にJR中央線や西武線が通っている国分寺駅・改札前に集合して街歩きがスタート。今回の案内も街歩きのプロ、TOKYO歩るっく!を主宰されている鎌田政良さんにお願いしました。
鎌田さんはホームページも開設されていますので、ぜひご覧ください。
https://tokyo-alook.main.jp/about/


■ガイドの鎌田さん




当日は、朝から雲一つない晴天で最高気温も17度、歩き始めて「ちょっと暑い。」とコートを脱ぐ人もちらほら。街歩きには絶好の日でした。プロボクサーの輪島功一さんが始めた団子屋さんも国分寺駅近くにあります。







国分寺市は東京都の中央あたりに位置しており、大部分が武蔵野台地の高台にあり「国分寺断崖線(こくぶんじだんがいせん)」を境に低い立川段丘と高い武蔵野段丘に隔てられ(上の写真の中央、赤い破線で示した場所が国分寺断崖線)、その間には「野川」という名の川が流れています。

 国分寺の駅前に位置する「殿ヶ谷庭園」は、三菱合資会社社員でのちに貴族議員にもなった江口定条の別邸で「随宜園(ずいぎえん)」と命名されました。その後、昭和40年代になると再開発への反対運動を機に東京都が買い取り、現在は有料庭園として公開されています。




入り口はとても狭いのですが、明るく開けたメインの庭園に抜けることで、視覚的な広がりを感じられる設計になっており、園内ではモミジの木やイチョウの木が紅葉して、大変きれいでした。そして園内には庭を眺められる東屋や、冬の風物詩として「雪吊り」や「藁巻き」、更には「藁ぼっち」が設えられ、見た目がかわいいと参加者から歓声があがりました。









次に訪れた場所は、日立製作所中央研究所の脇。敷地内に池があり、これを水源として「野川」になり、国分寺断崖線に沿って二子玉川で多摩川に合流しているそうです。ちなみに、国分寺断崖線の高台部分には成城学園と言った高級住宅街が広がっています。




野川は現在、大部分が暗渠になっていますが、住宅地の庭か通路のように見える空き地の下には川が流れ、昔の橋のなごりもありました。




(みんなで立っている場所は元、橋の上)

「姿見の池」に来てみると、木の枝にカワセミが一羽止まっていて、ラッキーなことにエサを獲る瞬間を見ることができました。「姿見の池」は野川や近隣の湧き水を集め、透明度が高く、きれいな水で、鎌倉時代は東山道武蔵路(とうざんどうむさしみち)や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女たちが、朝に夕に自分の姿を映して見ていたことから名づけられたと言われています。




また、遊女・夙妻太夫(あさづまたゆう)が鎌倉時代の武将、畠山重忠を慕って身を投げた池、との伝承も残されています。

(西国分寺駅前の線路の脇には日影山もあり、ちょっとした登山気分を味わえました。)






ランチ前には、7世紀頃の律令時代に整備された「東山道武蔵路(とうざんどうむさしみち)」の復元された遺構を見学。当時は切通しになっていた東山道武蔵路は、今では姿を変えて、歩道が広くて車道が狭いという、日本ではあまり見かけないスタイルの道路として使われています。




そして、歩いた後のお待ちかね、西国分寺の人気フランス料理店「ボンマリアージュ」でランチ。参加者の自己紹介に続いて、コロナ禍前に参加した東京三栄会のイベントでの思い出や、初めて参加した方の感想、所属している会社の紹介等々で盛り上がり、大いに交流を深めました。









「ボンマリアージュ」でランチを楽しんだあとは街歩きの後半戦。鎌倉時代に幕府所在地である鎌倉と各地を結ぶ主要道路で、周辺諸国の武士団の移動や物資の運送に使われた歴史ある鎌倉街道をたどって歩きます。ガイドさんの説明があると、普通の生活道路に見える道も味わい深いものに感じられました。



そして、奈良時代に聖武天皇の詔により全国に建立された国分尼寺跡に到着。本堂跡は公園になっていましたが、道を挟んで、向かいには講堂などの施設の基礎となる「礎石」が復元され史跡として整備されています。ちなみに、30年ほど前までは敷地の一部に民家が建っていたそうです。






国分尼寺の次は、国分寺跡を見学しました。武蔵国分寺跡は全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性が認められ、大正11年(1922年)にはすでに国指定の史跡になっている場所です。



(復元された史跡内の土台には、一部に出土した当時の瓦が使われています。どの部分か分かりますか?)

奈良時代に国分寺があった頃は、このような配置だったようです(国分寺市HPより)。
1,300年もの時を経て、同じ場所を歩いていると思うと味わい深いものがあります。



武蔵国分寺史跡から道を挟んで反対側にある「國分寺」は江戸時代に創建されたもので、楼門のところに立派な石碑がありました。



江戸時代に創建された「國分寺」を背にして歩くと、「お鷹の道」があり、国分寺を代表する名所として最近では散歩に来る方向けに、おしゃれなカフェもあります。
この小径の脇にも国分寺断崖線より湧き出したきれいな水が流れていて、最近ではホタルを復活させようと地元の人たちが頑張っています。


(江戸時代、尾張徳川家の御鷹場に指定されていたことに因み、「お鷹の道」と名付けられました)





楽しかった国分寺の街歩きもいよいよ終わりに近づき、真姿の池湧水群とその近くに散在する農家さんの直売所に立ち寄りました。少し形は悪いけれど、いろいろな野菜や果物がお手頃価格で、お土産として買っていく参加者も。国分寺産のキウイフルーツを買って食べてみましたら、爽やかな酸味が効いていて美味。ちなみに、農家の直売所と言えば、無人販売の元祖と言っても良いお店(?)ですが、今では支払いに現金だけでなくペイペイも使えるというのですから驚きです。



真姿の池湧水群を後にして、国分寺断崖線の坂道を駅まで登ります。遠目に見ても、それなりに高低差があるので「大変そう・・・。」との声が。
午前中に水源地の近くまで行った野川と再会。そして16時過ぎに国分寺駅で解散となりました。合計11,200歩の今回の街歩きでは、歴史に触れ、自然に触れ、豊かな湧き水のある国分寺の魅力を発見した休日になりました。






(東京三栄会 文化交流委員 三井物産ビジネスパートナーズ㈱ 新井貴裕)




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